〜会員ひろば 〜
サイレントベビーを読んで
泣_イムストアー 岡崎直子
この本に書かれていたサイレントベビーや幼児虐待などに関する話は、最近のテレビ番組や新聞などでもときどき取り上げられているので、私もある程度の知識は持っていた。
しかし、この本を読むことにより、サイレントベビーの問題が現代社会の歪みに対する警鐘であること、そしてこれが育児の欠陥だけにとどまらないという事実を、自分の意見と共に再確認することが出来た。
両親とのコミュニケーション不足がサイレントベビーの原因であるということからも分かるように、コミュニケーションの不得手は、子供達だけの問題ではない。この社会を見渡せばコミュニケーションの下手な大人などいくらでも目に付く。ラッシュアワーの電車から、平然と周囲の人間を突き飛ばして下車しようとする人のなんと多いことだろうか。彼らは「すみません」というたった一言で周りとのスムーズな意志疎通がはかれるということさえ知らないのだろうか。
そのような心に余裕のない大人達、あるいは、これも最近よく耳にする単語だが、アダルトチルドレンと呼ばれる、精神が成熟していない人間たちが子供を育てたとしたら一体どうなるだろうか。この本に書かれていたような問題が起きる可能性が極めて高いように思わないだろうか。
あらゆる意志、趣味、思想をもった人間がこの「社会」を形成している以上、コミュニケーションは不可欠である。自分の意志を正しく言葉にすること、相手の言葉を正しく受け止めること。お互いの理解には、時として膨大な時間や労力を費やさなければならないこともあるが、それでも冷静さを失わないように努めること。これらを忘れれば社会は上手に機能しなくなっていしまう。
そもそも、私たち一人一人は別個の存在なのだ。その全く別々のファクターがひとつの社会を形成しようとする以上、同調にせよ反発にせよ譲り合いにせよ、その基礎となるのは意志疎通であるはずなのだ。
コミュニケーションの基本は、本にも書かれていたとおり、興味を持つことである。知りたいと思う気持ちは、それが満たされるとさらに膨らんでいく。しかし、小丹生にけーしょん下手な両親に育てられたサイレントベビーたちは、自分の周囲の世界を味気ない、つまらないもののように感じてしまっている。これは哀しく、危険なことである。自分の周りに好奇心を持てない子供達は、成長しても周囲と積極的にコミュニケーションをとろうとはしないだろう。私たち人間は、普通つまらないと思うものを知ろうとはしないものだ。
そういった子供達はやがて孤独感と疎外感に苛まれながら成長し、精神的に余裕のない大人になるだろう。
私たちはなんとかしてこの悪循環を断ち切らなければならない。心に余裕を持たなければ、上手なコミュニケーションはとれない。私たちはイライラしたり、焦ったりしているとき、視野や思考の幅が狭くなってしまう。私たちは広い視野を持って生活しなければならない。心の余裕がもたらすものは、ただその人個人の平穏とゆとりだけでなく、社会全体の、ひいては次世代の子供達の精神的に豊かな人生なのである。
とはいえ、一人一人がすべきことは、そんなにむずかしいことではないと私は思うのだが。
現代社会のこの余裕の無さは、あらゆる局面にしわ寄せがあらわれている。このサイレントベビーの問題はその最たる問題であるといっても過言ではないのではないだろうか。まっさらでこの世界に訪れる赤ん坊達が、ほんの僅かな間にこの世界に失望してしまうということの恐ろしさを、私たちは危機感を持って、重大に受けとめまければならない。社会の意志疎通、相互理解のための、小さな気遣いや自己表現、日々の心がけを忘れないようにしなければならない。
例えば子供をもつことになった時、「いい親」であろうと気を張る必要は全くないと思う。多田、自分自身が精神的猶予をもった、楽しい人生を送るという、あたりまえで大切な基本を忘れないようにすればいい。子供を育てるのに、自分の精神が未熟だなど、ばかげた話だ。
サイレントベビーの冷めた瞳のイメージは、私にも、自分の生活を振り返らせた。