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        ”こけし”のふるさと  宮城県弥治郎を訪ねて
                      恩田支部支部長 高寿さん
こけし写真

 一本の「こけし」に出会った。そのふるさと(みちのく)ヘの郷愁の想いがつのり、「こけし」の心に触れようと考えたとき、一本、一本の「こけし」をとおして、発生地である(みちのく)ヘの郷愁の旅が始まるのです。

 東北地方に伝わる「こけし」は、青森県には温湯温泉、秋田県には木地山周辺、岩手県は花巻市周辺の湯治場を中心に、山形県は蔵王高湯温泉、米沢市周辺、宮城県は遠刈田温泉、鳴子温泉、鎌先温泉、青根温泉、福島県は土湯温泉、中ノ沢温泉等々。 昔から、地元の人々の唯―の休息の場であった、湯治場を中心として生まれ育ってきたといわれております。

 そして、私が最初に出会った「こけし」の発生地である宮城県弥治郎について、紹介したいと思います。 弥治郎は宮城県の蔵王連峰の最南端の不忘山の東ふもとに、昔から、東北の名湯として知られ、今でも湯治場として近在の人々が利用している温泉地の―つに鎌先温泉があります。 鎌先温泉は、昔からの湯治場として名残りも色濃い、山あいの静かな温泉地で今でも七,八軒ほどの旅館が営業しております。

 その鎌先温泉から歩いて約二十分位の地に「こけし」発祥の地の―つとして知られ、数多くの分流を出している弥治郎に着きます。

 ここで、いつ頃から木地を挽いたかはむろん、はっきりは分かりませんが、遠刈田や嶋子とほぼ同じ年代つまり徳川時代の末期の文化(1804〜1817)、文政(1818〜1829)のころではないかといわれています。

 この、弥治郎は、現在でも半農半工の地でありますが、昭和の初めに「こけし」の産地として全国に紹介きれ、早くから「こけし」の(ふるさと)として親しまれてきました。昔は、生活の苦しい貧しい村落で、人々は農業のかたわら、農業閉期になると木地を挽き、「こけし」や玩具を作っては、鎌先温泉の湯治場を相手に土産品として売られていたといわれております。

 「こけし」や玩具を湯治客に売りさばいていたのが、木地師と呼ぼれた女房たちで、これは昭和30年頃まで続いていたということです。これが弥治郎の鎌先商いと呼はれ、有名になったといわれております。

 今、”弥治郎”を訪れると、工人宅の案内板があり、それを頼って行くと次々に「こけし」工房が現れて、初めて訪れる人々にとっては、美しい蔵王の峰々とともに、とても印象的であります。弥治郎「こけし」の胴は、やや太目の直胴が多く、胴のなかほどに、くぴれをつけたものもあります。

 模様は太いロクロ線の組み合せのほか、簡単な衿(えり)や、裾(すそ)で着物を表現したもの、花や蝶をあしらったものなど、色彩を主体としており、頭部はべレ―帽のように美しい二重、三重のロクロ模様がはいっています。 なんといっても、素朴ななかに深い味わいと、上品なお色気が漂っているのが、弥治郎「こけし」の特徴であります。

 そして「こけし」の素朴で飾りつけのない表情のあたたかさが、無邪気な童(わらべ)の表情を連想するのは―人私だけでありましょうか。

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